読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

う そ つ き

芸術と芸術を融合ぐちゃぐちゃ

ひとつ大きなものを得た代わりにたくさん失った二ヶ月でした、振り返り、そして

2016年9月6日、SNSで私は体調不良によるソロ活動休止報告を発表しました
この日、活動休止を発表するまでの間に私は写真集の制作とMVの制作を進めていました
写真集はあと入稿するのみ、MV撮影は打ち合わせも終わり日程も決まりあとは当日を迎えるだけでした
ハタから見ればアマチュアのシンガーソングライターのただの制作、でしたがたくさんの人が関わっていて私にとってはかなり思い入れの強い制作期間でした
ですが私は今回の体調不良で仕事もストップして収入が今もありません
写真集の入稿をするにも、計画通りのMVをつくるのにも、ましてやライブをするのにもお金が必要でした

そんな私にまだ手を差し伸べてくれる人もいます
活動休止を発表しましたが私の気持ちは前向きです

悲しみのその先に、絶たず も、もちろん続きます

これからもよろしくお願いします

なかむらひとみ

もう絶対、誰のことも疑わない人間になりたい

どうにもこうにも人を疑うことしか出来ないわたしは自分のことすら疑うので外出するのにもすごく時間がかかる、自分が電気消したか鍵閉めたか信用出来ないんだよね

ずっと幸せでいたいけど今までやってきたことなかったことにはできない、裏切ってきた人たちのこと忘れることはできないよ、そこに罪悪感の塊が残り続ける

今まで感じてきた幸せもなかったことにはできない
それはそれで幸せだったと認めたい
わたしは認めたいと思うのに、他の人がそれを認めたいと思うと許せないのはエゴだ

過去と比較するつもりはないし順位をつけるつもりはないから今は今で幸せだし、これからも幸せになろうと思います
少し代償は払うけどきっといつかそんなの忘れるから

女としての幸せを選んだことをお前は簡単に音楽をやめたと言われてしまうならわたしはそんな大きなものと引き換えに音楽をやっていたのか、どちらかしか選んじゃダメなのか、ライフスタイルじゃダメだったのか、わたしがどんな気持ちでここまで決断したか知らないくせに
ひとつひとつ決めたこと、発表したことに、今まで以上にわたしの人生がかかっていたことも知らないくせに

悲しいなんて一言じゃ収まらなかった
だからこそ、人生かけたからこそ、死ぬほどぶつかって出した決断だからこそ、そこらへんの若僧女に生活を侵されたくないと思います
わたしのテリトリーに侵食してこないでって思います
大事なものをわたしはもう二度と他人に奪われたくありません
手離すつもりもありません
わたしの作品も、こころも、家族もね

病院のご飯の味が薄すぎて毎食がっかりするが、食べる前と食べた後にはきちんと手を合わせることを意識している

友達でもなんでもいつだって人間関係は誰かと誰かの人生がぶつかって混ざり合ってしまう、それが化学反応を引き起こしては異臭を放つこともある、それも稀ではない、人間関係ドロドロ系のドラマの再放送を見て感じた
日常茶飯事、日々どこかで誰かが誰かを憎み、誰かを愛しているなんてそんな気持ち悪い話があるかと再放送のあとのニュースを見て初心に還ったような気分で思った
人が一人死ぬと人が一人産まれるようになっている、おそらく。そう思う
人が死ぬことばかり取り上げられる世の中だ、だから分かりづらい、それは仕方ないね
分かりづらいだけなんだ、ぜんぶ、分からないんじゃなくて、回りくどいから、目に見えないものも介入してくるから、ややこしいだけなんだ、本当は分かっちゃいるのに右手はナイフになって人をバシバシ傷付けてしまうし左手は自分の体を撫でてごめんねごめんねって言ってる、どちらも私自身で、どちらも間違いじゃないのだけれど正反対だから分かりづらい、理解しづらい

本当に誰かに伝えたいのはこんなしょーもないことじゃない、って思いながらシェアボタンを押したりすることがあるから偽物だ、偽物だ!でも追放されない、みんなそんなもんだって上手いこと折り合いつけてるからたぶん
もしかしたらあの子だって「死ね!」って思いながら友達に「愛してるよ♡」って送信してるかもしれない、そうやって相手を、誰かを、疑い続ける世の中なのだ、私にとって「私の見る世界」というものは、「日々」は、「生活」は、疑いから入るものなのだ
失敗したら、「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせるクソみたいな毎日
悲しいことがあったら、「悲しいのは今だけだ、一年後には忘れる」と自分に言い聞かせるクソみたいな生活
明らかに、腐った
人間としてもう腐ってしまった
だから神様は今の私を選んだのかもしれない
腐敗した、私の喜怒哀楽を、感情の牙を、ナイフを振り回すことでしか自分を守れない私を、選んだのは神だ

、、、、、、とか最近は頭の中でそういうことばっかグルグルしてるからまじでヤバイと思う
諸事情で仕事を少し休めるからよかった
「中村さん、ずっと突っ走ってきたから会社のことはとりあえず今は気にせず、私達に任せて、これを機に少し休んでください」と、春には溝の口勤務に変わってしまうかわいい後輩に言われた

確かに自分でも休養が必要だと思っていた
でもどちらかというと体力的にというよりかは脳みその休養を求めている気がしてた、が、体力が先にオワッタ
よりによってこの日かよ!っていう日にオワッタ
それまで準備してきたものはなんだったんだ…ってなったけどすぐ考えるのをやめた
片付ける仕事だけちゃんと片付けて今はポイってしよう、そうしよう、って決めた
入院したら暇だけど溜まってる連絡を返す気にはそうそうなれず、返しても説明するのが面倒だから「大丈夫だよーこころは元気だよー」の一点張りにした
事情を知ってる人なら分かってくれると信じてるが、実はゼンッゼン元気じゃねえよ、こころが、一番
入院直前、病院に向かうタクシーでこの世の終わりかってぐらい泣いた、だから病院では泣かないと誓った

お母さんがたまたま一泊だけ実家に帰る日に重なってしまって、遠く離れたおばあちゃんちから昔の写真をたくさん写メールで送ってきた
なんだか幸せな気持ちになった
それで帰ってきてお見舞いに来てくれたがなんか昔わたしが遊んでたぬいぐるみのおもちゃと頼んでた飴(めっちゃ溶けてて開けるのに一苦労する)とその他もろもろ必要最低限のものを持ってきてくれて小一時間ぐらい話した

真面目な話の間に少しの笑い話を挟んで、あんまりしんみりしないように心掛けた

病院のご飯の味が薄すぎて毎食がっかりするが、食べる前と食べた後には手を合わせることを意識した

私は私自身と誰かを過大評価しすぎていた
誰にも期待しないふりをして、本当は人一倍誰かに期待していた

この場所では、私は生かされてるような気がした
誰かに「生きろ!」と背中を押されている気がした
死にたいと思っていたわけじゃないのに突然背中を押されると嫌になる
前を向いて生きていくつもりでいるのに、世話焼きの誰かに生きることを強要されると逆にどん底に落ちる

だから私の親は、私に
「生きてくれ」とは言わずに「幸せになってくれ」と言う
私に向かってそう言うのはこの世で三人だけ
私の偉大なる両親と、あとひとり
私に「どういう形でも幸せになってほしい」と言ってくれた遠くに住んでる人だけだ
守りたいものが多いけど、私は全部抱えて墓まで持ってく覚悟だよ

こないだの無力無善寺は最高に楽しくて、無善法師がちょっと変だけどすごくあたたかかった
ここでならギリギリまでライブがしたいなって思ったけど上手く言えなかった