う そ つ き

育児日記は月1回更新です

自論、「大丈夫」の魔法

音楽は世界を変えないかもしれないけど、人を変えると思っている
人が変われば世界が変わると思っている
だからややこしい

なんでもないひと、なんて周りにはあんまりいないんだけど、やっぱり頭ひとつ抜きん出てるひとはいてそのひとがね、「大丈夫」って言ったら自然と大丈夫な気がしてくる錯覚
心の持ちようだと言ってしまえばそれまで、誰に投げかけているか分からないしもしかしたら自分に言い聞かせてる熱量のない文字列なのかもしれないけど
その画面越しの「大丈夫」だけで救われてるひとが少なくともここにひとりいるってことを知っていてね
なんて、綺麗事すぎて笑える、所詮はSNS、アイフォンの画面上に現れるものなんて薄っぺらい、その薄っぺらさのなかに愛情はどのぐらい収められるのだろうか、あほらしい
その、わたしで言うならツイッターの650人のフォロワー、全員がわたしを支えてくれているとは思ってない
さすがにそこまで自信過剰にはなれないけど、たくさんのひとと出会っていろんなことが巡り巡って、わたしは「なかむらひとみ」としてCDを発売します

いつも、大丈夫って言ってくれてありがとう

例えばの話、好きだったバンドが解散や活動休止をする度に普段は曖昧にしていた時の流れっていうやつを実感する
進んでないように見えて少しずつ時間は流れてしまってる現実をそういうときに突きつけられる
そうなってから気付く、後悔はパワーには変わらない、いや、変えにくい

昔、高校の同級生に「お前にはこれが赤に見えてるかもしれないけど俺には青に見えてたらおもしろいよな」と言われたことがある
「赤の定義が違ったらそれもそれでおもしろい、同じ色を認識していたとしてもおまえのなかでそれは赤、俺のなかではそれは青という名前だったらどうなんだろうな」って、そう言われたことがある
色はあくまでもたとえ話で、それは彼の精一杯の反抗、もしくは願望だったのかもしれないとも思う
みんながみんな、赤を赤と認識し、赤のまま過ごすことに退屈を覚えて、それを覆したかったのかもしれない
赤に見えるものを青に捻じ曲げようとする彼の音楽はもっと世に出るべきものだった
そんな彼はいま、小さな部屋で細々とギターを弾いてるか買い揃えたDJセットの研究でもしてるのかな

楽しいことなんてちっちゃくて、悲しいことのほうが見えがちなわたしたちはいつでももがき苦しんでるふりをしては、これがきっかけであの人から連絡くればいいなとか大好きなあの人に心配してもらいたいなっていう不純な気持ちを少し抱えて世に発信してるんでしょ、みんなそうだよね
大好きなひとの生活をSNSでしか見れない日々に嫌気がさした、隣でもっと苦しんだり悲しんだりしてるのを見たいってなる、我儘もいいところ
数時間前に更新したツイートの裏の裏を読もうとしては気が狂いそうになる
きみはどういう気持ちでなにを見てなにを聞いてそのツイートボタンを押したの
その一押しに、どんな意味を持たせたの

たったひとつの発信が意味を持ってしまう
現代のネット社会はもうそんなところまで来てる気がするんだよ、悲しいことに

小さいことに敏感になったな
赤を青に捻じ曲げたいと思っていたあの頃のわたしはどこにいった
こんなくだらない女にはなりたくなかった
大人になるってそういうことなのかな
誰かに、大人になれって言われたわけでもないのに
わたしはひとり勝手に、着実に、大人に近付いていってしまっている